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てれドラぶろぐ

テレビドラマ研究家の管理人が語るドラマなどの話題

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銭ゲバ第1回

 『銭ゲバ』第1回を見た直後は、細部のリアリティの劣悪さが気になりました。
 例えば貧乏に苦しむ主人公の小学生時代の回想がいかにも表層的に見えます。キレイな畳にキレイな布団。明るい部屋。ホントに金がないのですかと。また、電気も止められてないみたいだし。電話はさすがに止められているのか、医者を自分で呼びに出てましたがそこは何も説明なしです。猫が死ぬところもセリフだけ。母親もイヤにあっさり死んじゃう。人間の死というものはこうも簡単なものなのか。
 ドラマの制作費がないとはいってもボロボロの畳とか暗い部屋だとかそういうのはスタッフの努力次第でいくらでも映像に出来るのではないですか。そういう細かい汚れだとか痛んだ作りなどはせっせと作ればいいのでしょう?

 …とまぁ、そんな感じであまりもの戯画的な描写が気になったのでした。
 ですが、見終わって一日経って思い返してみますと、そんなことなど作り手はどうでもいいと考えている可能性もあると思えてきました。

 例えば、大島渚監督の映画に、機関銃のようなスピードで政治用語が飛び交う「日本の夜と霧」という映画がありますけど、あの映画では圧倒的な熱気が作品の身上であります。政治闘争に明け暮れる当時の状況を如実に描いて異色の存在でありますが、劇中をご覧いただくとセリフにも演技にも人間的なリアリティのカケラもありません。感情もまったくこもっていません。佐藤慶にしろ戸浦六宏にしろ、ところどころセリフをとちって言い間違えて言い直したりすらしている。
 ですがそんなことはどうでもいいのですね。あの映画が描いたいのはキレイなセリフでもなければ生々しい生き様でもなかったのです。政治的人間、そのものだったのでしょう。

 話を『銭ゲバ』に戻すと、そういう視点からは「本当の貧乏が描けているかどうか」に拘泥してこの作品を切って捨てることがあるいは正解ではない、という可能性もあるのではないかと。

 要は地道な人間の生き様を描いたドラマではない。実際には生きることに苦労したこともない青二才が机上で考えた知的想像の中で成立した社会観が展開しているということなのかも知れないのです。ですが物事の原理というものは案外、こういうところから普遍化されるものなのかも知れないわけです。
 ま、要はもう少しこの作品を見守ってみてから判断した方がいいかも知れないということになります(笑)

 二週に一本の頻度で執筆している東京新聞のコラムですが、次回はこの『銭ゲバ』を取り上げてみたい。そう決めました。そこでは教育上好ましくない描写があること、普通にみるとつまらないということをキチンと書いた上でそれでもなお、今観ておかないと後悔する作品かも知れない、と書いておくつもりです。

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