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『総理大臣誘拐される』(1991)というドラマ

 長年見たかった単発ドラマ『総理大臣誘拐される』を先日、見ることができた。

 テレビドラマデータベース『総理大臣誘拐される』詳細データ

 本作は1991年の放送。植田博樹氏の入社2年目のプロデュース作品だ。
 放送されたのは「新鋭ドラマシリーズ」というドラマ枠。新進気鋭の脚本家が執筆し、それをTBSの新鋭演出家・プロデューサーが映像化するという枠で、土曜の夕方ぐらいに不定期にオンエアするドラマ枠であった。(途中からTBS以外の新鋭演出家が手掛けることもあった)
 小生は本作を当時見ることがかなわなかった。関西在住であり、関西ではこのドラマ枠の作品は放送されることもあれば放送されないこともあったように思うので、本作が関西でオンエアされたのかさだかではない。
 このドラマ、そのタイトル『総理大臣誘拐される』でも分かるとおり、総理誘拐という物騒な題材で、それは最近の植田博樹氏がプロデュースした『SPEC』『安堂ロイド』などで、国会議事堂内に侵入し要人を拉致したり、乱闘を繰り広げる場面が登場していることと結びつけることができそうに思える。
 『SPEC』など一連の作品の面白さはここではあえて触れないが、その面白さの一つの要素に、ストレートに描くとテレビではとてもヘビーで反社会的ゆえ取り上げることができないテーマをユーモア的な感覚を強調することで実現させてしまうというところの痛快さにある。
 そして、この方向性は、植田博樹氏というより演出を手がけた堤幸彦さんの作風にあると考えてきた。
 というのも、植田博樹氏は『SPEC』が出てくるまでその原型となった『ケイゾク』一辺倒のイメージではなく、他のジャンルで魅力ある作品を多数手掛けていて、たとえば『ビューティフルライフ』などの北川悦吏子作品や『L×I×V×E』『愛なんていらねえよ、夏』など恋愛や青春を扱ったドラマの世界でリリカルな高感覚の作品を手がけそこでも高い評価を得ており、きわめて多様なイメージが併存していたのである。

 一方、先日まで放送された『安堂ロイド』は『SPEC』から通じる世界観が漂っているのだが、この『安堂ロイド』は堤幸彦さんは関与していない作品である。そう考えると、この世界観は『SPEC』『安堂ロイド』両方をプロデュースした植田プロデューサーの持ち味が色濃く繁栄されることが浮かびあがってくる。


 そうなると植田プロデューサーの作品歴のもっともはやい時期の作品として、この『総理大臣誘拐される』が扱ったテーマとの関連性が再び注目されることとなる。
 後年の『SPEC』『安堂ロイド』に連なる、「体制転覆」という危険かつラディカルなテーマを放送で扱っている仮説が浮かぶのだ。

 『総理大臣誘拐される』の脚本が蒔田光治という点も重要だ。同氏は『ケイゾク』の企画協力を手がけた方であり、堤幸彦演出の『TRICK』の脚本も手掛ける人物だ。体制転覆などという非常にテレビ媒体で扱うにはヘビーすぎるテーマをユーモアを交えることで実現させる手法は蒔田光治氏と堤幸彦氏、そして植田博樹氏という3氏が連携して生み出してきた手法だということになる。


 さぁ、そういう仮説を持って『総理大臣誘拐される』を見たわけだが、実際に見てどうだったのかといえば、驚くべきことに、そうした作品の予備知識をふっとばして、純粋に作品としての圧倒的な面白さに作品に没頭させられた。

 かなりの低予算での作品作りだったと思うがそのような厳しい制作環境ゆえの窮屈さを感じさせない。それは自由奔放なアイディアが画面全体にあふれているゆえだ。

 単純に面白いというだけでなく、前述のような危険なテーマをユーモア的な感覚で描くことで放送可能なものにする狙いがすでにここで成功している。
 ぜひともこの『総理大臣誘拐される』を筆頭とした新鋭ドラマシリーズの主要作をTBSチャンネルなどのCSでオンエアして少しでも多くの人に本作の存在を認識して欲しいものだ。

 物語を要約すると、総理を誘拐するという事件を実際にテレビ屋さんが広告代理店と組んで仕立てあげ高視聴率を稼ぐというお話なのだが、その一線を超えた行為が鬼気迫る迫力をもって見る側に伝わる。そう、この感覚はどこか大昔に感じた感覚だ。何だったか。そうだ、そうそう、若いころ見たあの映画、「博士の異常な愛情」を見たときの感覚に近い。要は優れたブラックユーモアなのだ。現実にはありえないと一笑に付してしまうだけでは終わらない、「ひょっとしたら近未来で起きそうな」怖さがそこに存在している。
 ここに『SPEC』などにつながる魅力の萌芽が生まれていることをうかがわせる。

 「脚本家や監督のデビュー作を見ると、その後のその人が見せた作品要素がすでに入っていることが多い」というようなことを誰かが言っていたが、確かに本作はそれにあてはまる感じが漂う。『ケイゾク』から『SPEC』、そして『安堂ロイド』に至る植田作品の原型が結構、ごろごろと転がっているように感じた。この作品で描きたかったことをより洗練された技法で高度にやっている面があるように思えた。

 しかし、これはちょっと奇妙でもある。なぜならこの『総理大臣誘拐される』のプロデューサーは橋本孝氏と植田博樹氏の共同プロデュースなのである。また北川雅一氏が演出なのだ。にもかかわらず、『総理大臣誘拐される』は今みると明らかに植田色があまりにも色濃く反映されすぎているように映る。
 本作で植田色を感じる根拠を挙げるのはかなり容易だ。たとえば覆面をした要人の面々が会議室に並んでいる絵なんて『SPEC』だろう。さすがに瞬時にダルマさんになったりはしないが。
 またそもそもの「反米」的な色彩、というか「対米従属的な日本」というものを批判しているスタンス、を漂わせているところも一致しているといえば一致している。

 またテレビというメディアが持つ危険性と強みの両方をかなり明瞭に浮かび上がらせてくれているのも特徴で作り手はかなりテレビというメディアの本質を理解していることを示している。たとえば視聴率の話になるとよく引き合いに出されるのが、あの連合赤軍によるあさま山荘乗っ取り事件の中継の高視聴率の話だ。あさま山荘の何も起きない外観の画面を生中継で延々と映しつづけるテレビ画面。それ自体は何の変化もない退屈きわまりない絵なのにひとびとが延々と見ていて驚くほどの高視聴率をマークした。これも本作では総理を誘拐した人物が放送をジャックして次の告知まで延々と「休止している画面」を映しつづけるのに高視聴率をマークし続けるという逸話に取り込まれている。そしてそのような、視聴率という数字に追われ一線を越えるテレビマン、広告マンの危険性を強調する一方でドラマ終盤、陰でこそこそ総理の暗殺を実行する現場を生で流すことでそれを瞬時に断念させることができる即時性の強みも写し出される。メディアの功罪が明瞭に描かれるという作りは、ある意味、頭でっかちな作りとみることもできるのだが、その一方で圧倒的な若々しい感覚も伝わってくる。

 私などは『SPEC』や『安堂ロイド』が映画ではなくテレビドラマとしてはじまったことを高く評価しているのだが、やはり植田氏自身、テレビという媒体をよく理解していて、これらの作品をテレビという媒体でやることにはじめから意義を見出されていたことをうかがわせる。

 残念ながら『安堂ロイド』は数字的には伸び悩んだ。木村拓哉主演ということもあり、あちこちからいろんな声が出たことであろう。植田氏は地上波でなく今後はほかのメディアでやろうか、といったことをつぶやかれてもいるが、テレビの魅力をこれだけ熟知されているので今後も大衆が見る地上波でこういうドラマを平然と放送する凄み、そして作り手としての快感、をよく認識されているだろう。だから、今後も地上波で最先端の革新作を平然と放送することの醍醐味をやめられないのではないかと思うのだ。

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