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「ベストテン」と「ワーストテン」の根本的な違い

 「日本で一番高い山は?」という質問の答は、「富士山」です。
 ではその逆に「日本で一番低い山は?」という質問の答はといえば、ウィキペディアによれば、私が幼稚園時代から昨年まで住んでいた地元・大阪府堺市の大浜公園の中にある蘇鉄山という小山が一番低いそうです。(一等三角点のある山として)
 なるほど!これはすごい。地元に「日本で一番低い山」があるとは。

 でも「日本で一番高い山」と「日本で一番低い山」との間には大きな違いがあるように思えます。「日本で一番高い山」は自然上の普遍的な事柄のようにみえますが。「一番低い山」は人為的な事柄のように思えます。
 後者がなぜ「人為的」と思えるのかと言えば、人間が「山」と定義した中の最も低いところを示しているだけだからでしょう。前者の「一番高い山」というのは「山」という定義を越えて、陸地でもっとも高い場所だからです。
 で、同じ様なことは、結構あちこちで転がっているような気がします。

 そういえば映画やテレビドラマの「ベストテン」と「ワーストテン」も、上記とは違うものの、似たようなことがいえるかも知れません。

 ベストテンはその人がみた中の上位10本、という定義で大きな異論はなさそうですが、「ワーストテン」のほうはその人にとっての下位10本ということでもない場合があるように思えるのです。
 なぜなら、そもそも、本来の「ワースト」作品は、最初にその作品を「観てみよう」と思わず、結局観なかった作品の中にこそ存在しているはずなのです。少なくとも「観てみよう」と思い「観た」作品は「ワースト」ではないはずなのです。そもそも論理矛盾をきたしているわけです。「ワースト」作品を、「観た作品の中」から選ぶことは出来ないはずなのです。というわけで、はじめから「ワーストテン」の選考というものは明らかに「ベストテン」選考とは違う、個人の余興レベルといっていいのかも知れません。
 映画雑誌などに載る「ワースト」に上げられる作品とその選考理由を眺めていると、そこでの「ワースト」は純粋な作品本来の評価ではないように映ります。
 純粋な作品への評価というよりも、どちらかといえば、「(映画好きの人だけでなく)一般多数の人が見て誉めている」「自分以外の世評が高い」「一部の影響力ある人たちが誉めている」などという、その作品に対する自分以外の周囲の扱い方が自己の評価と乖離している場合などに、「ワースト」が冠されるように映るわけです。要は自己が世間の常識とズレて低く評価している不満をぶちまけているだけというような場合があるように思えるわけです。

 ということで、映画にかぎらずテレビドラマのベストテンが巷ではびこるこの季節ですが、威勢よく書かれている「ワースト」のほうに必要以上にふりまわされて幻惑される人がたまにいらっしゃるのですが、そういうことのないよう、ご注意いただければと思います。たいていの場合は、少数意見ゆえの「ノイジィ・マイノリティ」であるのですが、時に「ノイジィ・ マイノリティ」は、「サイレント・マジョリティ」を凌駕するのです。声の大きいものの主張に幻惑されやすいのです。多数意見が正しいというわけでももちろんないのですが、少数意見だから正しいということもないのです。
 まぁ、「ベストテン」よりも「ワーストテン」のほうが選者自身の生々しい、屈折した思いは見えるかも知れません。そこを単純に面白がってみることはできそうです(笑)

(参考文献)「分類思考の世界」三中信宏・著(講談社現代新書)

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