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女優、池内淳子さん死去

 すいません。9月末からちょっとバタバタしておりまして、ブログの更新が滞っておりました。

 久々にブログを更新しようと思っていましたら、女優の池内淳子さんの訃報が飛び込んできました。このブログ、ここしばらく訃報ばかりが続いていてちょっと明るい話題がほしいところですが、池内さんの訃報は無視できないです。なにせ池内さんは早い時期から映画からテレビドラマに軸足を移し、もっぱらテレビドラマをメーンに活躍されてきた、早くからの「テレビ女優」でいらっしゃったのですから。

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http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20101001-OHT1T00015.htm
スポーツ報知公式サイト(YOMIURI ONLINE)より引用

池内淳子さん死去…がん公表せず今夏まで舞台

 女優の池内淳子さん(本名・中沢純子=なかざわ・すみこ)が9月26日午後4時21分、肺腺がんのため亡くなった。76歳だった。1960、70年代には出演するテレビドラマが軒並み高視聴率をマークし、“20%女優”の異名を取るなど活躍。晩年は舞台を中心に活動していたが、07年4月には間質性肺炎胸水貯留のために倒れ、治療中に肺腺がんが見つかった。関係者によれば、抗がん剤治療で腫瘍(しゅよう)は消えたが、今年3月に再発した。葬儀は家族のみで済ませ、誕生日にあたる11月4日にお別れの会を開く。
 “日本のお母さん”池内さんが人知れず、この世を去った。長年の友人であるドラマの石井ふく子プロデューサー、家族らがみとり、30日までに家族のみで葬儀を済ませた。
 07年4月に間質性肺炎・胸水貯留が発見され、3か月の安静加療が必要と診断された。このとき実は、右上葉に肺腫瘍が見つかっていた。
 その後、間質性肺炎の治療を行うとともに、肺腫瘍の確定診断で肺腺がんと判明。すぐに抗がん剤治療を開始し、腫瘍はなくなり、通院による治療を続けていた。しかし、今年3月頃から再発したという。がんについては公表はしていなかった。
 それでも、98年7月から主演し、晩年の代表作となった「三婆」(有吉佐和子原作)が4月5日、福岡・博多座で通算400回を達成。花束を受け取った池内さんは「こんなに回数を重ねることなど考えてもみませんでした。(主人公の)松子は分身!! これからも一緒に年をとっていこうと思います。これからも健康で皆様と一緒に上演できればいいと思います」と喜んでいた。
 「三婆」は5月16日の名古屋・中日劇場の千秋楽まで441回出演。関係者によれば、夏頃までは仕事を続けていたという。

 池内さんは54年、雑誌のカバーガールに選ばれたことをきっかけに新東宝に入社し、翌年、映画「皇太子の花嫁」でデビュー。56年には、高倉健(79)、故石原裕次郎さんらと第1回日本映画製作者協会新人賞を受賞。久保菜穂子三ツ矢歌子とともに、新東宝現代劇女優三羽ガラスとして脚光を浴びた。
 だが57年6月、俳優の柳沢真一(79)と婚約するとともに芸能界引退を発表。11月に結婚。しかし、わずか67日後には理由なく別居生活を強いられ、そのまま離婚。芸能界にカムバックした。
 その後は女優として一気に躍進。60年にはドラマ「日日の背信」が昼ドラとして驚異的な視聴率26・2%を記録し“よろめき女優”として人気者に。以後、出演ドラマが軒並み高視聴率を記録。65年放送の「女と味噌汁」で、地位を不動のものにし、“20%女優”の異名を取った。74年から80年までの6年間、日テレとテレビ界で初の専属契約を結んだ。
 舞台でも活躍。69年に「天と地と」で初舞台を踏み、75年からは10年連続で明治座での座長公演。女優としての長年の功績がたたえられ、2000年には菊田一夫演劇賞の大賞を受賞。02年には紫綬褒章が贈られた。

 大の巨人ファンとしても知られ、以前は後楽園球場時代から年間シートを持ち、時間があれば球場で声援を送っていた。特に高橋由伸のファンだった。

 ◆池内 淳子(いけうち・じゅんこ)1933年11月4日、東京都生まれ。三越デパート勤務を経て、55年に映画「皇太子の花嫁」でデビュー。代表作は松本清張原作の「けものみち」(65年)、昼ドラマ「日日の背信」(60年)。「女と味噌汁」シリーズも大ヒット。ほかにNHK連続テレビ小説「ひらり」「天うらら」や「白い巨塔」など。舞台では69年の「天と地と」以降、大劇場への出演も多く、明治座公演で長年にわたり座長を務め、「おさん」などで円熟の演技を見せた。近年は「三婆」「女たちの忠臣蔵」など舞台を中心に活動。2002年に芸術選奨文部科学大臣賞と紫綬褒章を受け、08年には旭日小綬章を受章した。
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池内 淳子 - テレビドラマ人名録 - ◇ テレビドラマデータベース ◇

 池内淳子さんといえば、記事にもありますが、1973年から1979年まで、日本テレビとの間でテレビ界初の専属契約を結んだのが当時話題となったようです。その期間はTBSの「東芝日曜劇場」などの出演を除き、もっぱら日本テレビのホームドラマを中心に活動をされました。そのころの出演作品は私も幼少ながら視聴していた記憶があります。
 TBSのホームドラマがこのころは全盛で、日本テレビのホームドラマは再放送の機会が少ないせいもあって今となってはあまり語られることがないのが残念ですが、『つくし誰の子』(1971~74 日テレ)を筆頭に、『月曜スター劇場/ひまわりの詩』(1975 日テレ)や『月曜スター劇場/ひまわりの道』(1976 日テレ)、『月曜スター劇場/ひまわりの家』(1977 日テレ)など、丁寧につくられた作品があり、池内さんがそのメインキャストとして活躍されていました。また同時期の「東芝日曜劇場」の『女と味噌汁』シリーズは今でもときおりCS「TBSチャンネル」でオンエアされることもあるのでこの時期の池内さんの元気な芝居に触れる機会もあります。

 その後も数多くの作品に出演されており、よくドラマで見かけてきましたが、とりわけ池内淳子さんの存在が印象に残っているドラマは例えば、『ドラマ人間模様/魚河岸ものがたり』(1987 NHK)であったり、『連続テレビ小説/ひらり』(1992 NHK)でありました。最近では『土曜ドラマ/ディロン』(2006~08 NHK)での老いを迎えた姑の寂しさ、『白い巨塔』(2003 フジ)での主人公・財前五郎の母親役、『薔薇のない花屋』(2008 フジ)でのヒロインたちとともに暮らすようになるおばあさん役、『任侠ヘルパー』(2009 フジ)の第1回のゲスト出演など。

 池内淳子さんは決して器用な役者さんとは言えませんでした。今回の訃報で、いろんな役柄に挑戦したとかかれていますが、それは初期のころのことで、その後は良くも悪くもいつも同じような役柄で同じような芝居だったのです。
 ドラマの作り手も池内淳子さんに多様な役柄を求めていなかったのです。1980年代中盤以降は、2時間ドラマなどを除くと主人公やヒロインの横でしっかりと彼ら彼女らを見守り支える親の役などが多かったように思います。その「同じような芝居」は、池内さんの場合、いい意味で「変わらない芝居」とも言い換えられるように思います。
 ドラマで演技する人たちが徐々に若手にシフトし、時代も変化していく中、テンポの早いセリフや動作が増えていきます。今どきのスピーディーな展開が一般化しつつある中で、池内淳子さんの芝居はあくまで以前と変わらぬ「どっしりとした鈍重な芝居」なのです。
 周りの役者がテンポ良く、あるいは軽快に芝居しようが、池内さんはあくまで、重くどっしりとしたテンポを維持されてきました。それはある種、貴重な存在ともなっていたのです。このあたりは、例えば比較対象としてはヘンかも知れませんが、杉村春子さん山岡久乃さんが多少とも若手のテンポに芝居をあわせていたのとは対照的でした。
 池内さんのテンポのずれ世代間の意識のズレ「変わらぬ」日本の典型的な親のイメージを浮かび上がらせていたのは池内さんが計算されていたのかどうか分かりませんが貴重な役割だったように思います。
 そして池内さんのその周りとはズレた芝居の奇妙さをちょっと滑稽に浮かび上がらせたのが久世光彦さんでした。あまり知られていませんが久世さん演出『明日はアタシの風が吹く』(1989 日テレ)では、小泉今日子さん高杢禎彦さん渡辺えり子さんたちがスラプスティックな演技を続ける中、超然とまともな演技を繰り広げる池内淳子さんとの対比が絶妙でおもわず笑ってしまう、怪作でありました。CSなどでごらんになれる機会があればぜひご覧いただければと思います。

 池内淳子さんの訃報は哀しいですが、池内さんのお仕事を振り返る意味で6年間の専属契約を交わしていたこともある日本テレビにそのころの池内さん主演のホームドラマの追悼放送を期待したいところですがいかがでしょう。。。

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