てれドラぶろぐ

テレビドラマ研究家の管理人が語るドラマなどの話題

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まだ見ぬ人との出会い

 よく熱心に未知の人との結びつきを作ろうと努力している人がいます。例えばビジネスの世界で人脈作りに熱心な人がいます。異業種交流なんかに参加してせっせと結びつきを作っておられます。

 趣味の世界でもネット上、例えばSNSなどでせっせと友達を増やしている人がいらっしゃいます。高名な映画関係者や文筆業の人とも交流を結ぼうとしている人がいらっしゃる。

 いや、こういう人を見るとどこかウラヤマシイ。私の場合、どうにもそういうことにおっくうなところがあります。

 いや、確かに私も自分が好きなジャンルで活躍している著名な人と出会いたいわけです。
 しかし、心の中ではそういう欲求にブレーキがかかっています。自然の流れの中で必然性が生まれればいつか出会う道がおのずとひらけていくものではないか、との思いが強くアタマをもたげてしまうのです。そういう時機が来て自然に出会う機会を待っていたい。どうもそう思えるわけです。



 人と人との出会いの瞬間というのは「気」の微妙な領域があるのではないかと思います。微妙な人と人との間(ま)。「居合い抜き」の間(ま)にも似た繊細な気と気のぶつかりあいが瞬間生まれるように思うのです。そのはじめて出会った瞬間のひらめきのようなものが、出来ることならいいものであってほしい気がします。
 出会う時期を間違うと不幸で終わることもあります。本来、その人とは人生のもう少し先で、今よりも成長した段階で会えば幸せだったのに無理に早い時機にあってしまったがためお互い幻滅で終わることもあります。もちろん逆もありえることでしょうが。

 そう考えると人為の領域でコネクションを作るのはどんなものなのか。お互いが欲する状態になればおのずと出会いは生まれるものではないかという気もしてくるわけです。

 その上で結局、その人と人生の上で出会うことなく亡くなった。そういうことならもともと出会う必然がなかったのではないか、とも思えるのです。

 例えば、私は山田太一さんのドラマに大きな影響を受けています。するとじゃあ、山田太一さんに会いたいかと聞かれれば会いたい!と応えます。何となく必死で頑張れば会えるような気もするわけです。ですが無理にでなく自然と会える機会があれば会える、その程度でいいのではないか、と思えてしまうわけです。自然の流れにゆだねるべき領域のような気がしています。

 と、まぁ、自己正当化の論理なのですが、やはり精力的に人とつながりを作ろうとしている人はウラヤマシイです。

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