てれドラぶろぐ

テレビドラマ研究家の管理人が語るドラマなどの話題

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ネット上の「人の死を悼む文章」で、ちょっと気になること

 お盆ということで、ちょっと「訃報」について書いてみたいと思います。

 本ブログは私が日々のよしなしごとをテレビドラマを中心に適当に語る、という主旨なのですが、その中の扱うテーマの一つに、テレビドラマ関係者の訃報というものがあります。

 実はこれまで私はあまりネット上で「人の死」というものを取り上げてこないようにしていました。
 それは、日々目にする、ネット上の掲示板やブログなどにおける訃報の扱いにちょっと気になることが、あまりに多かったせいもあります。まぁ、私がちょっとひねくれ者のせいなのでしょうけど、どうにもネット上には「人の死」に触れる文章について妙に気になる書きぶりが多いのです。

 まず、その人が亡くなったことをかなり残念がるトーンの人がやけに多い。人間の死というものを悔やむことは大げさすぎても失礼ではないのかも知れませんが、どう考えても大げさだと思えることがあります。それまでその人がその亡くなった人について何も語っていたことがないのに亡くなったときに急に不自然なほど哀しんでいるように読めてしまうことがけっこうあるのです。そうなると、ひょっとして、その書いた人にとっては、その文章上だけ「悼む」だけではないのか、と疑いたくなります。
 書き終わったら、その人が死んだことをほとんど日常、忘れてしまっているのではないか。そんな大げさに悼んで嘘付くなよ、と思えることも少なくないです。実際、毎日更新を重ねているブログでは人の死を大いに悲しんだすぐ後で、書いた当人がまったく打ってかわって違う話題で笑っていたりする。それはないだろうと、ついつい思ってしまうのです。あるいは、そんなにその人の死を惜しむのなら、なぜ生前、その人を誉めてこなかったのか?と思わずいいたくなることもあります。

 もう一つ、「ご冥福をお祈り申し上げます」という表現を使う人が多いのですが、これもちょっと気になることがあります。あなたは本当にその人のご冥福を祈っているのかと。まぁ、これも常套句であると割り切ればいいのかも知れませんがあまりに紋切調だと見えることが多いのです。これはホントに冥福を祈りたいと思ったときだけ使うべきではないか。読み方を変えれば、人の死を悼むための表現を工夫するのが面倒なので類型化した表現を使用しているのではないか、とも思えるのです。

 さらにもう一つ、ある人の死を悼む文章を綴る一方で、別の日に亡くなった、同じぐらい活躍しておられた人の死について、まったく触れないことがあったりする。これはどういうことなのかと思えるときがあります。「人の死」に軽重はないだろうと。

 ということで、ブログをはじめるにあたり、以上のような、私が日ごろネット上で見かけて気になっていたところを出来る限り排したような訃報関係の記事を書いていこうと思った次第なのです。

 したがって、有名な人の死はもちろん、多少ともテレビドラマに関係したことが明らかな人は可能な限り本ブログでは取り上げていこうという思いでスタートしています。
 書く場合は、その人の死を必要以上に「残念ながらない」ということ。そして「ご冥福をお祈りします」という紋切り表現は絶対に使用しない、という2点を秘かに書く際の禁じ手としたのです。

 ただ、はじめてみてちょっと誤算だったのは予想以上に「テレビドラマ関係者の訃報」というのは多いということです。亡くなった方が「テレビドラマ関係者」であれば、できるだけ取り上げるというのが方針だったわけですが、あまりに多い。
 そのため、時期によっては本ブログがまるで「訃報ブログ」のような雰囲気になっていることが出ています。
 このあたり、もう少し様子をみますが、どうしたものかと思案しているところだったりします。。。。

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