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てれドラぶろぐ

テレビドラマ研究家の管理人が語るドラマなどの話題

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人間の行動はすべて予定されているのか

 物理学にかかると、ごく一部の例外を除き、世に発生する事柄はすべて何らかの法則に基づき生じていることが立証できるといわれます。世の出来事はすべて法則に導き出されて生じているのだというのです。
 だったら人間の思考というものはどうなのか?
 たまにこんなことを考えてしまいます。

 人間の頭の中の思考はその人自身が自由な意志のもとで決定しているように思われています。だが、本当にそうなのか。人間の思考そのものは脳の電気信号の変化です。物理学の見方からはその電気信号は物理的な法則のもとに導き出され生じていることになります。だとしたら脳の思考というものはその人自身が自由に考えているように見えて実はあらかじめ物理の法則下で導き出された予定どおりの電気信号に過ぎないのではないか。ということは、我々はあたかも自分自身が自分の意志で人生を選んでいるように見えますが実は想定されているものをなぞっているだけ、ということになるのではないでしょうか。


 人間の行動も自然の一部で自然界の法則に基づいている。ということは人間の思考をつかさどる「脳」のプロセスは物理的な法則に支配されているということになります。自分自身が決断して選択しているはずの思考・行動が実はシステムとして自動的に設定されているだけ、その可能性が高いように思えてくるわけです。
 ひょっとすると「乱数」のような方法で無規則な電気信号が生み出されるプロセスが人間の脳に埋め込まれているとしたら機械的な結論とはいえないかも知れません。だが、現実に「乱数」を生み出すには膨大な装置を必要とします。そんな大げさなものが人間の「脳」に埋め込まれているとも思えないのです。
 例えば、自分が送ってきた人生をもう一度、最初から送り直すとします。しかも一度目の人生と寸分たがわぬ人生を送って来たとします。そのとき、二度目の人生を送る人間の脳が下す決断というものは、ひょっとすると一度目の人生を送る人間の脳が下す決断と全く同じになってしまうのではないか。なぜなら「脳」には、同じ状況下で同じ結論を生み出すようにプログラムされているから。
 自由意志で考えていると思いきや、実はすべての思考はシステム的に自動設定されているに過ぎないのではないか。あたかも自由に行動しているかのように「脳」が自己の個体に思わせようとしている気がするのです。

 と、まぁ、こんなことをたまに漠然と考えていたりします。

 で、同じ様なことを考えている人というのはネットにもいらっしゃるのですね。似たようなことが以下のところにも書き込まれています。↓
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3095946.html

 また、これは哲学の領域で昔から議論されていた事柄のようです。ウィキペディアの「自由意志」の項目にこのことが明記されているのです。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%84%8F%E5%BF%97

 上記の2つへのリンク先への回答で究極的にはカオス理論の「複雑性」の世界の話で終わっています。すなわち人間の行動、意志決定というものは複雑性によって決定されているのであらかじめ予期できるものではないというのです。ですがそういう「複雑性」も現代の科学の演算技術の限界であるだけで本当は法則が存在する可能性があるようにも思えてしまうのですね。ま、そこまで複雑なら自分自身で意志決定しているのだと、思いこんでしまったほうが楽なのですが。
 実はこの問題、例えば犯罪の予防や有罪・無罪の判断にまで波及する可能性があります。人間の意志が自己の決定でなく、過去から現在に至る周囲の環境と生まれてきた気質に起因してあらかじめプログラムされた不可避のものならその人の責任に帰するものなのかどうか…。
 こういう疑問のようなものは前々から感じていたのでしたがとくに最近、考え込んでしまったのは、7月に物理学者のファインマン氏の本を読んで以来です。どうということのない軽いエッセイ本でしたが、その中で話の主題ではないところで興味深いことをファインマン氏はさらっと語っていたのです。

 人生の各段階で人はいろんな決断をするものだが、見た目、いろんな選択肢があって自由に選んだように思えて、実は選ばなかった選択肢を選ぶことなど何度やっても同一環境下では決してありえないのだというのです。「いつでもやろうと思えばやれる」と思いつつ、結局選ばなかった選択肢は、同じ機会がめぐってきても同一環境なら選択しようとしても選択できないものなのだという。 一見すると豊富に選択肢があるように思えるときでも、人間というもの、同一の状況下では同じ選択肢か選択しない、他の選択肢を選ぶことなど決してないのだというのです。
 で、さらにそんなことは自明のことだとさらっと言ってしまっているのです。最初、読んだときは呆気にとられたのですが。

 そもそもこの問題、私は何から興味を感じ始めたのか。辿ってみるとどうも『ルパン三世』パート1の第22話「先手必勝コンピュータ作戦!」を見たときに遡るようなのです(笑)まだ小学生だったころの話ということになります。

 あのエピソード、ご記憶かどうか。ルパンが行う犯罪をコンピュータが予測して先回りしてしまうお話でした。途中までルパンの行動は100%コンピュータに予測されてしまいますが途中で、ルパンはコンピュータの動きが完全に自分の動きを予知していることを知りそれを逆手にとり違う方法で犯罪を達成してしまうわけでした。
 ですが巨大なコンピュータなら「コンピュータ」の裏をかこうとすることをコンピュータ自身が予測するのではないか。視聴した当時から大いな疑問を感じたのです(笑)いやはや、あのエピソード、結構深いのですね。

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