てれドラぶろぐ

テレビドラマ研究家の管理人が語るドラマなどの話題

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銭ゲバ第8話

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(2009/02/04)
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 いよいよ、『銭ゲバ』もクライマックス、第8話となりました。
 土曜日の本放送時は所用で外出しており、日曜日にブルーレイで視聴いたしました。

 前々回の寄り道気味だった展開が前回で軌道修正され、今回、最終回一回前でようやくもとの軌道に戻ってきました。作品の本質というものが徐々に描出されてきていますね。 ミムラ演じる緑がここへ来て重要性を帯びてきています。風太郎に向けた愛憎入り混じった感情というものが表情にも出ています。原因は風太郎だったにせよ、ほぼ同じ苦しみを味わう二人が心を通わせていくプロセスが、この荒削り志向のドラマとしては珍しく丹念に描かれています。
 次回はいよいよ最終回です。いったいぜんたいどのような決着点を描きだすのか。次回予告も前回ぐらいから無くなってしまっています。まったくもって予測もつきません。

 ただ、一ついえることは表面上の物語をただただ追っていく視聴方法の人、すなわちこの主人公がどういう結末を受けるかという「かたち」を追っている人、こういうふうにこのドラマを見ているとおそらくはかなり許し難い結末になることでしょう。
 もっと虚心になって物語の向こう側に横たわっているものを見据える必要があります。
 例えば、このドラマを見終わって人はどんな印象を持つか。人によってそれは様々でしょうが、一ついえることはこんな気分ではないでしょうか。

 「お金に翻弄される生き方ってなんて無意味なことなのだろう」

 もし、そういう思いが心の中に残ればこのドラマは恐らく成功なのです。
 えっ?その程度のことを描くためにこんな凄惨な物語を描いていたのか?だったらもっと他の形もあっただろ?アホか?
 …なんてツッコミが入りそうですが、それではダメなのですよ。時代を超えた表現でこのテーマを描くにはつまらない人情物語にしてはいけません。ありがちな勧善懲悪的な物語で、時代にズボズボにはまりこんでいてはいけません。
 なぜいけないのか?それは時代を超えることがもう一つの作品の目的だったと思えるからです。
 究極のところまで、つまらない人間関係的な見せ場というものを排除しています。したがってこのドラマの視聴後の感想というものは、恐らく今年このドラマを初見した場合でも、10年後、あるいは20年後に初見した場合でも、まったく同じもののように思えるのです。すなわち時間が経つことで感動の濃度が低下するといった衰退はほとんどないように思えるのです。

 「お金」イコール「通貨」「貨幣」。
 現行の貨幣制度はかつてのように「金(きん)」とも交換できません。まったくもって何の具体的な保証もありません。しかしナゼか貨幣自体のモノとの交換価値は維持されている。誰もその価値というものを信用しているように見える。
 いったい誰がそれを支えているのかといえば国家保証というものなのです。国家?
 吉本隆明さんではありませんが、しょせん国家も突き詰めれば実体もなく幻想でしかないわけです。
 「お金」というものは、紙切れに模様がかかれてあるだけです。そういう薄っぺらいもののためにあくせく働き、場合に寄っては人殺しさえしでかしてしまうのが人間なわけですね。
 所詮、人為的に生み出したはずのバーチャルな価値のために、人間はそういう愚かなことを日々しているわけです。
 分かっているのに止められない制度の病弊。

 これらを時代を超えた表現でごく普通に生きている人々にちょっとだけ再認識する契機を生ませたわけです。

 このあたりのことは第1話の書き込みのレスの中で書いてしまっていたのですがキチンとラストまで一貫していたというところは多少途中で作品の主軸がずれたところがあったとしても最終的には一貫していたといえるのでしょう。

 そもそも、このドラマの印象というのは、どうにも他の連続ドラマ全体に漂う肌触りとは違います。まるで普通のドラマとは違うメディアの作品に出会った肌触りを感じてしまいます。
 私にとっては例えば、18世紀ごろに執筆され、現代まで語りつがれてきた名作小説のような肌触りです。例えばドストエフスキーの一編のような、というと誉めすぎでしょうか。(ただ、私自身はドストエフスキーの小説がそれほど好きではない)
 荒削りな中に残る普遍的な信念というものが貫かれています。

 恐らく作品全体を覆う、直截的かつ単純な表現がその一要因なのでしょう。
 ドラマとしては確かにあまりに単純だし、直截的すぎます。またこの作品は描かれる描写によってかなり偏った価値観を描出している可能性があります。でも、だからといってそういう普通のドラマの価値観でこのドラマを一刀両断に切って捨てていいものなのかどうか。
 恐らく映画やテレビドラマだけを見てきている人ほど、「ドラマとはこうでなければならない」という価値観の呪縛から受け入れられない作品になるのだろうと思えるのです。
 ですが、ドラマという媒体にこだわらず、一つの「表現物」として見た場合、果たしてこの表現物は一刀両断に切って捨てられるべき作品なのでしょうか。もしこの表現物が一刀両断に切って捨てられたとすれば、それはこの表現物がたまたまテレビドラマという媒体で描かれたことの不幸、ということになるでしょう。その場合、なんとまぁ、この時代の「テレビドラマ」を語る人材というのはこれほどまでに払底していたのか、ということになりそうです(笑)

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