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てれドラぶろぐ

テレビドラマ研究家の管理人が語るドラマなどの話題

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耐寒マラソンというバカげた学校行事

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(2006/12/20)
TARAKO水谷優子

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 ドラマ好きだからといってアニメは見ない、ということはなくて、むしろテレビアニメというのはテレビドラマの一分野だと考えていますので、アニメだからといって特別視するということはないのです。そのような考えに基づいているので、「テレビドラマデータベース」でも実写ドラマだけでなくアニメもデータを収録しています。実写でもアニメでも同列で検索できるようになっています。

 もともと私が小学生の頃というのがアニメブームの勃興期だったわけで、当然ながら「宇宙戦艦ヤマト」やら「銀河鉄道999」に熱中していたわけです。そこから「未来少年コナン」を経由して宮崎アニメの世界にも入っていったわけです。したがってテレビドラマよりもアニメが先だったのですね。といいますか、それ以前にマンガが好きだったわけです。一時は月曜日発売の「少年ジャンプ」から金曜日発売の「少年キング」まで毎日、少年マンガ誌を読んでいたぐらいのマンガ好きでした。

 とはいえ、最近はテレビドラマをキチンとフォローしておくことが仕事のようになっていまして、突然、マスコミの人から「あのドラマについて感想を」などと言われることも稀にあるため、アニメのほうはどうしても後回しになってしまっているのが実情だったりします。

 そんな中で、「ちびまる子ちゃん」は欠かさず見ているアニメです。あの日常的な世界をちょっとだけシニカルな視点から見ているのが楽しいのですね。小学生のころ感じたことをふと思い出すような気分があってそこも心地いいわけです。
 開始当初からずっとさくらももこさんが原作だけでなく脚本も執筆されていてそれはそれは面白い「さくらももこワールド」を満喫していたのですが、ある時期からさくらももこさんは原作だけを担当し、脚本は他の人が担当するようになってしまいます。で、にわかにつまらなくなったのですね。さくらももこさん独特の話運びの面白さがなくなって、普通に登場人物のキャラだけで話を作ろうとして生彩がなくなってしまったわけです。
 そういうわけで結構、長い間、「ちびまる子ちゃん」からも遠ざかっていたのですが、2年ほど前ぐらいから再び毎回観るようになっています。今もさくらももこさんは脚本を担当されていないのですが、見事に「さくらももこワールド」が物語に復活していたのです。作品の見所をうまく理解した脚本家を見つけることに成功したのでしょう。今ではまったく違和感なく楽しめているわけです。

 そんな「ちびまる子ちゃん」の3月1日放送分では、「耐寒マラソン」の話題が出て来ました。耐寒マラソンを嫌がる中学生のお兄ちゃんのお話でした。


 明日の耐寒マラソンがイヤでイヤで仕方がないお兄ちゃん。

 あーそういえば私もそうだった!

 すっかり忘れていたのですが、そういえば私も高校のころ、年一回、行われる耐寒マラソンが憂鬱で仕方なかったことを思い出したのです。そうだった、そうだった。もともと私はスポーツ音痴でしたから体育の授業が嫌いだったのですが、中でも水泳とこの耐寒マラソンはもっともイヤな行事だったのです。

 耐寒マラソンの日が刻一刻と近づいてきます。あ~イヤだイヤだ。
 出たくない。でも出ないと仕方ないな~。と思い悩んで。
 考えればしょ~むないことで悩んだものだ。
 結局、耐寒マラソンに出たのは1年生のときだけ。
 2年生のときは「しんどい」とか何とかいって当日はマラソン会場の公園に行かず、高校の部室でサボってしまいました。
 皆がしんどい思いしている最中、暖かい部室でのんびりとたたずんでいると、他にもサボってしまった部員たちがやって来て、彼らとどうでもいい会話を生ぬるくしていたのを覚えています。

 あのときは、どうにも何かとんでもない大罪を犯したような気分になったものでした。何かバチがあたるのではないかとビクビクしていましたっけ。

 でも、そんなバチなんてものは何にもない。

 …そのころからでしょうか。嫌なものはやらなくていいのではないか、と思い出したのは。そもそも耐寒マラソンなんてまったくのナンセンスだ。何でそんなことしなきゃいけないのだ?オトナになった今、改めてそう思うわけです。

 結局、学校教育というものは、イヤなこともしなければいけないわけで、そういう教育を小学校の頃から受けていくうちに、集団との調和を気にする人格を植え付けてしまう。それ自体は社会性を持つプロセスとして大切なのかも知れないのだけれど個性とかいったものがどうしても消えてしまう恐れもあるわけですね。
 結局、イヤなことも「NO!」といえないオトナになっていくのではないかと思うのです。

 そもそも私が小中学生だったころって今よりもセンセイがたは日教組が強い時代でした。彼らセンセイはいわゆるリベラル的な思想の持ち主だったはずなのに、なにゆえ、学校教育で、例えば運動会の行進の練習などで何度も何度も歩調を合わせさせたのだろう。あるいは人文字という、北朝鮮がやるような全体行動を何度も何度も繰り返し、やり直しさせたのだろう。別に歩調なんて合わなくてもいいじゃないか。
 結局、全体主義的なこうした行事を強制的に生徒に課したセンセイたちの行為は、「個性を重んじる」というリベラリズム的な理想とどう整合性を内面で保っていたというのだろう?

 高校生という、やや遅い時期ではありますが、耐寒マラソンという、何の意味もないバカげた学校行事に出ない。まぁ、そりゃ真っ正面から「NO!」と言ったわけではありませんが、そういうバカバカしいものから忌避することを覚えたことは人間的成長としては意味があったのではないかと思った次第です(笑)


 と、まぁ、たかだか30分程度のアニメーションを見てこんなすっかり忘れてしまっていた高校生の頃のことを思い出していろいろと考えてしまうわけです。

 こうしたいろんなことに思いを馳せてしまうあたり、この「ちびまる子ちゃん」、なかなか味わい深いものがあるのですね(笑)

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