てれドラぶろぐ

テレビドラマ研究家の管理人が語るドラマなどの話題

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「銭ゲバ」程度の作品なんて。。。という声

 『銭ゲバ』は予想通り賛否両論のようです。
 世評が出る前に東京新聞のコラムで私は作品の描写における社会的な影響があることは指摘しつつ、ドラマ好きなら見ておいたほうがいいと書いていたこともあり、多少、世の評判を気にしていたのですが、されほど批判一色でもなく、私の意見が異端でもなさそうという状況のようです。
 ですが、やはりといいますか。『銭ゲバ』ぐらいの作品は昔からあった。今さら騒ぐほどのドラマじゃないだろう?という声もちらほらみられるようです。

 ですがこういう声に対してはちょっと言っておきたいことがあります。

 『銭ゲバ』は連続ドラマという日常的な存在の媒体において久々にここまで描いている作品が出て来た、という点に置いて、まずは意義があるといえるのです。映画や演劇など、観る前からこういう作品を見る、という自覚をもって見るという媒体ならいくらでも本作を超えるモノはあるわけです。そんなことは当たり前です。
 この作品の意義は何気なく興味なくチャンネルをひねった視聴者がこれまで思ってもみなかった価値観に触れる可能性をもっているところにあるのです。

 テレビドラマという媒体でも例えば単発モノならこういう作品もやりやすいのです。なぜなら一回の放送の中でキチンと悪者は退治されますから。
 ところが本作のような連続ドラマの場合だと、一回だけ見る人もいるわけで、そのような場合、特定の回だけ見た人は悪者がそのまま生き延びてしまうわけです。

 これは「放送コード」においてかなりギリギリの試みではないかと思えるのです。『銭ゲバ』と比較されがちな『白夜行』はそのあたりに留意したのか、第1回目導入部などで、ラストにあたる場面、すなわち犯罪者である主人公が追いつめられて死に瀕する場面をフラッシュバックさせていました。これは演出上の都合というだけでなく、「放送コード」という点、すなわち「悪者は退治される」という根底にあるべき原則をできるだけ維持するべく配慮していたと思えます。

 ところが、『銭ゲバ』はそんな配慮をとっぱらっている面があります。第1回目を見ても(今のところ)何の悪事もしていない人間が子供に撲殺されてしまったりするわけです。しかもその子供はそのまま平然と大人に成長しているわけです。苦労して生きているものの自己の犯した過去の罪を反省などしていないように見えるのです。
 細々としたところでは配慮されていますがこの大枠においてかなりのことをしているわけです。

 ただ言うまでもなく昔はこういう連続ドラマもありました。例えば昨年CSで再放送された『熱帯夜』(1983)などはそんな配慮は微塵もなく、最終回以外は犯罪者が闊歩する作品でした。ですから過去にナイというワケではないのですね。しかし長年の間にテレビというメディアの与える影響度の大きさが自覚されたのか、作り手側も極力、そのような配慮を作品の中に内包させようとしていたのですね。今回はそんなことを取っ払ったところが「画期的」なのかも知れないのです。
 そういう思いをこのドラマの作り手が抱くようになったのはどういう機会なのか?それはよく分かりませんが、少なくともこのドラマのPは以前、『セクシーボイスアンドロボ』において、類似の立てこもり事件が起こったばかりに一回分のエピソードが放送中止に追い込まれたことがありました。テレビドラマが与える影響度の大きさを考慮して中止にしたのです。そのとき、このPはふと思ったのではないでしょうか?「テレビが与える影響の大きさ」を考慮して放送を自粛することの是非を。少なくともそのあたりが本作を企画する遠いきっかけだったのではないかと思えるのです。

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